9月14日(土)週に1度は拝殿に向かう正面の石段、観世音寺へ降る階段を登り、体力増進と健康維持、何と言っても眺めと緑で目を癒し、健康に過ごしている事を神仏へ感謝。
約12年間、何せ結構、必死にこなし続けた定期的な取り込みだけあって、お賽銭を奉じ風景を愛でる余裕すら、いつの間にか疎かになっていた。
たまにはお札でも買い替え、いくらかの奉献をし、それに加えて季節限定の御朱印が目に付いたので、自室の装飾に風紀が良くなりそうとの直感で購入。しかし、ベラっと紙一枚を壁に貼るだけでは物足りないかな〜?オシャレに飾りたいと丸型の額縁もネットで注文。
しかし、丸い額縁に長方形の御朱印を挟むだけでは、これまた味気ない。どうにか御朱印が映える背景や台紙はないかと悩んでみた所、愛宕神社付近の木々、日の光が注がれた写真を背景にするとカッコいいとピンと来た。
よし、また、愛宕神社への石段を登り写真を撮りまくるぞっと意気込んで、翌朝は日曜でありながら、7時前にはポケットに入れた携帯の重量に耐え…大袈裟だけど…お参りと風景の撮影に愛犬と出かける。朝陽を散々と浴びた木々の緑を御朱印の背景になんて、我ながら良いセンスと自画自賛しながら石段を登り始めた。
しかし、早朝だけあって太陽の光は右手水平方向から当たる状況。要は建物側の建物や高く茂った木々から朝陽は遮られ、日陰ばかりの風景に気持ちが沈む。それでも折角、早起きして厳しい急な石段を登っているのだからと気持ちを奮い立たせ、美しい御朱印を装飾する背景として相応しい写真を何とか撮ろうと歩みを進める。
数枚、燦々と日光が降り注ぐ写真も撮れたが、上方向に携帯を構え木々の上部を狙う。でもやはり神社の参道を彷彿させる物でないと、有り難みが半減するかと拝殿直下の鳥居から石畳の参道からの景色を眺めても影。手摺りや門の朱色は映えるように思うけど、それでも日陰大半で日光が注いだ感じでないと、きっと暗く明るくなれない部屋飾りとなるに違いない。週に1度はお参りと身体の鍛錬に通っている神社でありながら、バシバシと風景の写真を撮りまくる。
それなりに素材はあるかな?でも神社を照らす初秋の陽の光を写真に納めるなら、真上から太陽が照らす日中に来ればよかったのか?既に9月も中旬と言っても最高気温は35度近くになり灼熱の最中に急な石段を登るのは辛い。暑さ寒さも彼岸まで後1週間ほど待って再度、愛宕神社と陽の光を写メデータに納め綺麗に御朱印を飾って見せる。気持ちが折れて違う素材を採用し御朱印をお祀りするハメになりそうな気もするが…

(後記)
自宅の部屋、それと事務所の自分の部屋に神仏ゆかりのお札、御朱印、経本などを飾り、仕事や読み書きを心地良く過ごしやすい佇まいにするように最近と取り組む。
不思議な物でネットや商店街で購入した物を適当に飾ってみるだけでは、何とも味気ない。やはり神社仏閣に自ら出向き、そこに辿り着いた有り難さを胸にい心を込めて参拝した上で、手にしたお祀り道具でないと、どう配置し装飾するれば嬉しい環境になるのか、感性が冴えない。
時間が許す限り、木々の明緑や鬱蒼として草木、歪な形や整然とした石を滑る清水の流れなどを心と無意識に蓄えて住まいや仕事の風気造りに役立てる感性っが大切なのかな?
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