令和 2 年 9 月 26 日週末の土曜日。明日の休日を前に家計の足しにもうひと頑 張り。実姉がオーナーの酒処に出勤。平日の事務仕事で身体はクタクタ。座り通 しでデスクワークをしていると節々が軋むのは勿論、私の折角の美貌までも廃れ た感覚に苛まれ寄る年波を恨めしく思う。4 人姉妹の末っ娘の私は、家族の争い や揉め事を巧くかい潜り、災難を避け、というかお姉ちゃん達に押し付け、例え 非難や怒りの矛先を向けられても難なく人間関係の荒波も乗り越えてきた。その せいか、余計な労力や気苦労もせず人から愛されて可愛がられて来たので、それ を糧に徳をする事が多く、満たされてきたこの身体からは得体も知れない魅力を 発している。
まだまだ世の中、可愛い女である事を最大の武器に渡り歩いていけるに違いな い。でも今夜、お店に出る前に昔から馴染みの客と食事をし、その後お店でもお 酒の相手をするのは気が重く憂鬱だなあ。年上の男性客だけなら、適当に相手を していればやり過ごせるが、同業それも他店のママと思しき年増女性の相手はた まらない。私の接客、言葉使い、機知に飛んだ会話力全てにおいて厳しい視線で 標的を狙うような緊迫感を味わい続ける事はもう耐え難い。逃れたい、この場所 から遠ざかりたい、誰か助けて…まさか言葉に出すわけにもいかず、ひたすら雷 雨が去るのを待つこのひと時、耐えられない、苦しい、嫌だ…なんて私みたいな いい女がこんな辛い目に合わないといけないの?
シックな黒を基調としたドレス、身体のラインは惜しげなく晒す事で、グラマ ーな色気を発散するだけでなく、突き出た胸元と出っ張った臀部が可愛らしいヒ ヨコでも彷彿とさせ、ピヨピヨと身体の前後を左右互いに振っていると微笑まし いその出で立ちで、油断を誘い微笑ましい雰囲気を醸成している。そのため普段 は緊迫する局面すら難なく、それも可愛らしく乗り越えていける。ランダムに描 かれた花柄も華やかな赤と大人っぽい紺が女の子らしさを演出。私って、やっぱ り可愛い!歩く時には太ももから足を大きく動かし腰をフリフリ。ほらね、私と 居ると力も抜けてお酒も美味しいでしょ!左手 2 つの指輪、ブレスレット調の腕 時計、魅惑の腰を強調するベルトは豪華な女を彩る。二十歳前後の小娘でも私に 敵いっこないのよ。
こんな私に緊張を強いる接客なんてさせないでよ。イライラしちゃうし、もう疲れてくる。お店に出る前の夕食から一緒にいるので息もあがっちゃう。ダウン ライトの真下で美貌を照らされるのは、まあいいとして、カウンターから見て左 手で出入口に陣取り逃げ道を塞ぐようなポシションは気に入らない。右に視線を 移すと大人しそうな老人と図体がでかい中年親父がだらだらと何の有益性も意 義も意味もない週末のひと時を過ごしている。私あっちの方が楽そうで接客を変 わりたいなあ。早く誰か助けて。私の出勤日のパートナー、チーママは穏やかに 会話を楽しみ、でっかい図体の中年男性の相手で急遽お店に出ている後輩ホステ スはニコニコとデートを満喫しているムードだ。右頬をやや上部に突っ張ってさ らけ出し赤く大きなイアリングを強調して感心を買おう。更にいい女をサービス しちゃおう!右手のおじさん達私の方が美しさ際立っているよー!右頬を上に 突っ張ると、あーっ首筋が伸びる〜。左腰にも響いて痛みも和らぐ〜。平日日中 の仕事の疲れが溜まっている〜。やはり無理は禁物の年になったのかしら…?
お店のオーナーである実姉ママが予定外の急遽出勤。ヤッタ!助かったこれで この緊張から逃げられる。一見言葉が荒く酔っぱらうと声高になるが幼い頃から 私には優しく可愛がってくれる。今でも週一レア出勤の私は大切に、キャラが真 反対でマイペース一途のチーママには厳しい。これこそが理想の環境。他人が辛 く苦しい様は蜜の味。お店の運営にチーママには厳しく当たっていても、その周 囲をピヨピヨ、ニコニコとばっちりを食わないよう怒りを買わないよう可愛く振 る舞うのよ。末っ娘の世渡り真骨頂。実姉ママの怒りを沈め、叱られているチー ママを慰めている振りをしながら自分だけは皆から愛され甘えられる。万が一私 が悪いことをしてもニッコリ笑って誤魔化し、それでもだめなら怒りの視線から 逃げて足元や腰付近に抱きつき攻撃で対処できる。大体それで可愛い娘と今後も 更に優しくしてもらえる。抱きつきゴメンなさいと哀願しながらも、叱っている 人の視線を避けて舌をペロリと出しているとは半世紀経ってもバレていない。
やっと、相手をしていた昔馴染みの客と同業女性が店を出た。ふーっ!解放さ れた〜。もう緊張で疲れちゃって誰かに八つ当たりしたい。そうそうカウンター 中央で後輩ホステスと嬉しそうに談笑しているデカイ中年親父、何だかむかつく。 他のスタッフには作文のプレゼントをしておきながら、私の事はまだ描いてもら っていない。最近になって顔を合わせるようになったと言え、この店随一レア出 勤の私を素敵に描いた文章をまだ書いていないなんて許せない。ねえ、この前に 頼んだ作文はまだ出来ないの?忙しいし文章を書くのが結構大変ですって?だ から何だって言うの?私の頼み聞けないって言うの?困っている表情なんて関係ないわ。だって、我がままぶちまけて困らせて追い詰める。これこそが快感。 それでなくては今日、今までの緊張感の癒しにならないでしょ!生贄になりなさ いよ!絶好のストレスの吐口、言いたい放題問い詰めても、穏やかで怒りそうに ない中年親父。まだまだ追い詰めてやる。私って、たまたま見つけた虫をズタズ タに突き切り裂く黒ヒヨコにも豹変できるのよ。容赦はしないわ!…って、えっ お姉ちゃん。今、お店に入ってきた 2 人組の気難しそうなボックス席の男性客の 相手を一人でやりなさいって言うの…まだ、この中年オヤジ虐め足りないのに…。
キリッと厳しそうなキツイ目線の客。満面の笑を浮かべるだけでは喜んでもら える対応とならない可能性が高い。適当に話し相手になっていればいいやと油断 していると下手を打つ事になるので要注意。一旦開放された緊張感を再び呼び戻 すことは心身ともに困難を極めてしまう。さっき気を使う男女の客が帰ったばか りでホッとしていたのに、もう、また緊迫すると造り笑顔も楽じゃない。チーマ マも後輩ホステスもダラダラした会話で終始しているに、私と交代してよね!お 姉ちゃん腰を痛めて大きいコルセットをしているから、座るのも容易ではないは ず。また暫く孤軍奮闘…?辛いー!…おーっ!オーナーママのお姉ちゃん流石! ゆっくりとした足取りでこちらのボックス席にやって来る。少し、イヤ大いに助 かる〜緊張感を分かち合えるなあというより、気苦労を押し付けちゃえ!ちょっ とトイレに中座するねって、そう簡単に席に戻るものか!用を足しても化粧が落 ちていないかドレスは乱れていないか入念にチェックって、そこまでは普通の振 る舞いでも、ため息を付きダラリと全身の力を抜いて、強張った箇所を解し、叱 られない程度にトイレに篭ってやる。まあ、席に帰る際には嫌々戻っている事は 悟られないように軽快な足取りであるよう気をつけよう。
ボックス席の男性 2 人客、そうは長居せずにお店を出たから、そこまでの負担 はなかった。良かった。これでカウンターに陣取る老人か中年親父の気楽な相手 ができる。それも先程まで責め立てていた中年オヤジ、責め立て方がまだまだ足 りない。もっと攻撃してやるー!今夜は後輩ホステスと晩ご飯から一緒って、な んで私に御馳走しないのよ。何ですって、お姉ちゃん。私がすぐに太っちゃうか ら私は野菜ばかり与えていればいいですって!身体を真っ直ぐにし視線、瞳を動 かさずにいる硬直した姿勢は末っ娘独自の怒りの体制。何で私は美味しい物食べ ちゃいけないのよ!普段は優しくしてくれても許せない。私の徳や利益を損なう 言葉を投げかけるなんて、口に出して逆らわないけど反抗の意思は態度ではなく、 姿勢と出で立ちで示すのよ。お姉ちゃんこそ食うもの食わずに乾びて枯れて仕舞えばいいのに!
ねえ、それで作文はいつ書いてくれるの?へえ〜今日も含めてまだ 3 回しか会 っていないのに私って描き易いって…そうでしょう、そうでしょう。美しくいい 女だからでしょう。分かっているじゃない。でも美人を美人と書いても面白くな いから笑いや落ちを付ける予定ですって!ふざけるなよ!甘ったれんなよ!そ こを私が満足出来るように文章にしたためる事があんたの役割じゃない!参考 に写真を撮るの?いいわよ。本来なら有料だけどね。素敵なレディに書くのよ。 可憐な乙女でもいいわよ。幼い頃から意味もなく膝を抱えしゃがんでいると、お 嬢ちゃんどうしたの?誰かに意地悪でもされたの?って男の人の関心を買う事 は特技だからね。今夜もソバージュに決めた長い髪と右耳の赤く大きなイアリン グがいい女を演出しているでしょ?中年親父、もう帰るの?じゃ作文は早く提出 するのよ。もう、はやり文章には落ちを付けるって、ダメよ!ほらさっき撮った 写真、右耳のイアリングが目立つような姿勢を見ても綺麗としか書けないでしょ う。
右側を強調したこの体制、多くの男を虜にして来たのに、どこをどうやって愉 快な文調で描くのかしら…まさか…平日の疲れが蓄積したこの身体…歪み凝り 痛みを和らげるために均等な姿勢を取るのが辛い事がバレテいるとしたら…嘘 でしょう。そこを切り取って文章の落ちを書くつもりじゃないでしょうね!冗談 じゃないわよ!いい女を強調するための角度としていたのに、いつの間にか生活 や仕事から来る身体の負担を軽減する姿勢だって、気が付かれてしまう年齢にな ったの?お願い!そんな事を敢えて文章にしないでー!私、いつまでもニコニコ、 ピヨピヨ振る舞っていけば誤魔化し騙し可愛い女の子で世の中を渡って行きた いの。そんな邪念は通用しなくなって来たの?嫌だー!そんな現実、受け入れら れない!認めたくない!
週末土曜日、普段より賑わう中洲に強めの北風が吹き抜ける。川沿いの柳の枝 がそよそよと揺れ次第に深まる秋を迎え入れようとしているが、年齢を重ねた女 性は何故か逆らい反抗してしまう。その運命の儚さに…
コメントを残す